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広島〜愛媛〜高知・しまなみ海道と四国西部を迷走する

2011年11月15日(火)

 すっきりと起床。8時5分、出発。

今治市しまなみふれあい交流館(元は小学校)
《今治市しまなみふれあい交流館(元は小学校)》

 今日はこの島から出るフェリーに乗って、期待の大久野島へ行く。

 フェリーが出る盛港は、拍子抜けするほど宿からすぐ近くだった。フェリーはこの大三島・盛港から大久野島を経由して広島県竹原市の忠海港を結んでいる。

 まずは切符売り場へ。大久野島までの人(300円)と自転車(120円)の切符を買う。

 フェリーの出発は9時ちょうど。まだ間がある。待合室で座っていてもよいのだけど、せっかくなので周辺をふらついてみることにする。

 周辺に観光客向けの施設などはないようだが、集落の中に寺があるそうなのでとりあえず行ってみる。

 港から内陸の方へ、集落の中の緩い坂をしばらく上っていくと、ほどなくお寺に着いた。西光寺といい、臨済宗とのこと。

西光寺
《西光寺》

 こじんまりとしたお寺だが、落ち着きがあって良い感じ。山門をくぐると、正面に本堂らしき建物、左に鐘楼がある。寺の裏手には墓地。

 ふと鐘楼の屋根を見上げると、鯱や鬼瓦が葺かれているのだが、これがなかなか立派で感心する。

西光寺の鬼瓦・1
《西光寺の鬼瓦・1》

 いつごろ作られたものかはわからないが素人目には実に堂々たる造形で、失礼ながらこの小さな集落の小さなお寺にこんなものがあるとは意外。良いものが観られた。

西光寺の鬼瓦・2
《西光寺の鬼瓦・2》

 寺を出て細い道を下る。集落の中に人家は決して少なくないのだが、人影まばらで子どもは全く見かけない。小学校が廃校になってしまったのもわかるような、さみしさがある。

 港に戻ってしばらくするとフェリーがやってくる。

港に入ってくるフェリー
《港に入ってくるフェリー》
盛港に停泊中のフェリー
《盛港に停泊中のフェリー》

 早速乗り込んで自転車を船内の柵に固定してもらう。その時、船員さんに大きい方のライトが点けっ放しになっていることを指摘される。自転車から外してスイッチを押しても消えない。

 昨晩、このライトを付けたり外したりを繰り返していたのだが、最後に付けた時、止め具にちゃんとはまっていなかったようで、今日港で移動する時に落っことしてしまった。それでおかしくなったらしい。いったん、電池を抜いて消したが、後で電池を入れても二度と点灯しなくなった・・・。新品なのに・・・。

 フェリーはほぼ定刻に出港。

フェリーから見た盛港
《フェリーから見た盛港》

 この船は大久野島を経由して忠海へ行く。室内には入らず、デッキで景色を眺める。海上からしまなみふれあい交流館が見える。

 9時15分、あっけなく大久野島に到着。ここは行政区分でいくと広島県竹原市忠海町になる。

大久野港
《大久野港》

 上陸して港のベンチに座り、さてどのように島をまわろうかと思案していると、数十メートル先に姿を見せた茶色いウサギがこちらを認めると、すぐさま駆け寄ってくる。

早速寄ってきたウサギ
《早速寄ってきたウサギ》

 昨日、大山祇神社近くのスーパーで夕食といっしょに買っておいたニンジンを出してやると、膝の上に上ってきてボリボリかじる。かなり図々しい。

膝の上で落ち着くウサギ
《膝の上で落ち着くウサギ》

 港から反時計回りに島を巡ることにする。まず、すぐそばにある発電場跡を観る。かつてこの島には毒ガス(!)の製造工場があり、その工場に電力を供給するために設置されていた施設とのこと。戦後60数年を経て、現在は荒れはてており立ち入りは禁止。

発電場跡
《発電場跡》

 このあたりにもウサギが7〜8匹いる。すこしニンジンをやる。巣穴らしきものもある。

巣穴らしきもの
《巣穴らしきもの》

 このウサギたちは元々島外の小学校で飼われていたものが島に放されて野生化し、現在約700羽以上いるそうな。皆、人には慣れているものの、一応野生であるだけに飼いウサギに比べると目付きが鋭く、ちょっと迫力がある。毛色はマチマチ。

 発電場跡から先に進むと分かれ道に行き当たったので、展望台の方に行ってみる。それなりに坂があるので、さっさと自転車を降りて押す。途中、中部砲台跡に寄る。

 この島は日露戦争前に瀬戸内海防御用に要塞化されており、その遺構がいくつか残っている。大砲の丸い旋回基部や半地下レンガ造りの弾薬庫があるのだが、観光施設としてはまだ整備途上らしい。もう少し実態がわかるような解説なども欲しいところ。

中部砲台跡
《中部砲台跡》

 中部砲台跡から北部砲台跡へ抜ける歩道があったので自転車を置いて行ってみたが、かなり長い坂を下ることになり、帰りが心配になる。途中にも1匹ウサギに出くわしたので、少しニンジンをやる。

 北部砲台跡は中部砲台跡に比べ、島のかなり低い位置にあったが作りは同様のよう。こちらでは簡単な図と説明があった。

北部砲台跡
《北部砲台跡》

 自転車は中部砲台跡の方にあるので戻らねばならない。坂がかなり急なので途中のベンチで一休み。

北部砲台跡から中部砲台跡への坂
《北部砲台跡から中部砲台跡への坂》

 さて、今日の宿がまだ決まっていない。かなり距離はあると思うが、がんばって松山まで行って道後温泉に泊まりたいと思う。休みついでに宿泊先候補の松山のユースホステルに電話をかける。宿泊可とのことで一安心。なんだかんだでもう10時を過ぎている。

 坂を上って自転車を置いたところまで戻ると、ウサギが3,4匹いて寄ってくる。買ったニンジンは1袋3本入り(128円)だったが、1日ここにいたら簡単に無くなってしまいそう。

 近くの展望台に上る。眺めがとても良い。瀬戸内の島々が美しい。

大久野島から見た瀬戸内の島々
《大久野島から見た瀬戸内の島々》

 自転車で坂を下り、島を周回する道に戻る。しばらく走ると北部砲台跡の前を行き過ぎる。なんだか損をした気分。

 さらに行くと毒ガス貯蔵庫跡がある。ここも立ち入りは禁止。壁面が黒いのはガス成分を焼き払った跡とのこと。こちらも整備途上のよう。

毒ガス貯蔵庫跡
《毒ガス貯蔵庫跡》

 途中、ウサギにエサをやりながらここの宿泊施設・休暇村大久野島本館前に到着。正面の広場には数十匹のウサギが。

ウサギ、わらわら
《ウサギ、わらわら》

 本館の食堂で昼食をとるつもりだが、11時30分からとのことで、少し時間があるので売店でお土産を買う。

 さらに広場でウサギにニンジンをやる。広場には他所にはいなかった子ウサギが何匹かいる。子ウサギは文句なしにかわいい(写真を撮りそこねたのが悔やまれる!)が、どういうわけか皆ドンくさい。

 大人に取られないように気をつけながら子ウサギの目の前にニンジンを差し出してやるのだが、今一つ反応が鈍い。どうもニンジンをあまり見たことがなさそうでエサだと認識していないような気がする。ようやくニンジンに寄ってきたと思うと、今度はやけに念入りに匂いをかぐ。こちらは大人ウサギに感づかれてしまうと気が気ではないのだが。

 やっとポソポソと慎ましく食べ始めたところで大人ウサギがわらわらとやってきて割り込む。はじき出された子ウサギは切なげ。このあたりでニンジンがなくなる。

 昼食。鯛めしにするつもりだったが、昨日の尾道で食べそこねたラーメンがメニューにあり、迷ったが両方注文。ラーメンも鯛めしもまずまず美味しかったが、むしろ鯛めしに付いてきたタコがプリプリで抜群。

 ゆっくり食事をして12時42分発盛行のフェリーに間に合うよう、本館を出る。少し港の方へ行ったところで、毒ガス資料館があることに気がつく。この島に来た以上、見ておくべき施設だが、盛行のフェリーの出発時刻はもうすぐ。その次の便は2時間後。先に見ておけばよかった。悩むところだが、ここはやはり資料館を見ていくことにする。

 毒ガス資料館は資料室一つにホールが一つの小さな施設。もともと、この島は海軍の要塞だったが、その後陸軍が秘匿に適している等の利用からここに毒ガス製造施設を置いた。当時は機密保持のため、大久野島は地図から抹消されていたとのこと。ここで作られた毒ガスが台湾で起きた武装蜂起(霧社事件)鎮圧や日中戦争で使われ、多くの犠牲者を出した。そればかりかこの島で働いていた人々にも健康被害を及ぼした。戦後、連合国軍や政府により毒ガスは処分されたが、島内には現在も汚染地域が残っているとのこと。

 美しい瀬戸内海と毒ガスとウサギ。凄まじい落差を感じる。

 ごく小さな資料館なので見学はすぐ終わり、時間を持て余す。ビジターセンターで島の紹介展示を見てもなお余る。港の近くでボンヤリして過ごす。

 ようやく、フェリーがやってくる。

忠海からやってくるフェリー
《忠海からやってくるフェリー》

 14時42分発。15分ほどで盛港へ戻る。

フェリーから見たしまなみふれあい交流館
《フェリーから見たしまなみふれあい交流館》

 15時、港を出発する。

 愛媛県道51号を行く。今日は大三島東岸を南下する。天気は上々だが、予定より2時間も遅くなってしまっている。距離読みをしていないので、松山まで後どのくらい走ればよいのか見当がつかない。

 地図はないし、PCは持ってきているのだけど、Wifi が使える場所がなくネットに接続できないので無用の長物化している。

 上浦町井口で昨日通った県道21号に合流、すぐに道路は国道317号となる。

 15時35分、大三島橋に到達。料金は50円。こちらはアーチ橋でやはり自転車・歩行者道は車道に並行。伯方島に入る。

大三島橋
《大三島橋》
大三島橋・大三島側から伯方島方面を見る
《大三島橋・大三島側から伯方島方面を見る》

 大三島橋から次の伯方・大島大橋はすぐ近くだが、渡る前に橋の下の道の駅伯方で一休み。波打ち際で塩ソフトクリームを食べる。塩といってもしょっぱいわけではなく、そう言われれば塩らしき風味があるなと気がつく程度。

 塩は伯方の名産だったことを思い出す。子どもの頃、家に「伯方の塩」があった。あの頃は伯方がどこにあるか見当もつかなかったけど。

 16時10分、出発。すでに陽は傾きつつある。橋を渡って大島側に料金所があり、50円。

伯方・大島大橋の自転車・歩行者道
《伯方・大島大橋の自転車・歩行者道》
伯方・大島大橋
《伯方・大島大橋》

 最後の島・大島を海沿いの県道49号から国道317号へ入り、島の中央を突っ切る。

 緩やかな坂を登り、そして下っていくと最後の橋・来島海峡大橋が見える。すでに17時を回って陽は沈みかけている。

来島海峡大橋
《来島海峡大橋》

 17時25分、渡り始める。橋は長大で対岸がどうなっているのかよく見えない。橋の途中に料金所があり、200円。長いだけあって一番高い。

来島海峡大橋・取り付け道路から
《来島海峡大橋・取り付け道路から》

 4,000メートル以上ある橋を渡りきった時には、陽は落ちてしまった。ともあれ四国本島上陸。

今治の工場・夕景
《今治の工場・夕景》

 17時50分、橋を降りたところにあるサイクリングターミナル「サンライズ糸山」に寄り、少し休憩。そこのポスターで今治市のマスコットキャラクター・バリィさんを知り、ちょっと気に入る。

 サンライズ糸山を出て、とりあえず県道161号を走る。松山までの距離はまだつかめていない。30kmくらいだろうか、それなら2時間以上はかかるなと思う。

 国道317号に入り、道路標識に「松山 47km」とあるのを見、愕然とする。この距離では3時間以上かかると考えなければならない。厳しい。

 県道15号に移り、西へ向かう。予讃線が並行する。夕食をとりたいが適当な店は見つからない。

 海が見える。海沿いを走るコースなので、明るければ良い眺めだろうにと思う。県道ということで道路の路面はあまり状態がよくないし、路肩も狭い。周囲には人家がそれなりにあるので心細さは感じないが、街灯は少なく道は暗い。

 大型のライトは壊れてしまったので、結局予備のつもりで持ってきた小型ライトが頼り。念のため予備を持ってきてよかったとも思うが、壊れたライトは買ったばかりだったのでやっぱり悲しい。

 国道196号に合流し、そのまま西へ。

 1時間以上走り続けた19時10分、JR菊間駅付近のコンビニでパンを買い、夕食にあてる。味気ないがしかたない。少し休憩。まだ今治市内。

 意外に早く、松山市に入る。しかし、道路標識によれば目的地である市中心部の道後温泉まではまだ20km以上と、かなり距離がある。以前ならこのあたりは北条市で、松山市はその隣だった。大合併のおかげで距離感がつかみにくい。

 20時10分、旧北条市域の松山市府中のコンビニでアイスを買って休憩。

 松山市内に入ってから、ジョギングをしている人をたびたび見かける。この地域では盛んなのだろうか。

 トンネルを抜け、引き続き国道196号を行く。ようやく目的地が近くなってきたことを感じる。

 道幅が広くなり道路沿いの建物も目に見えて増えてきた21時、お腹が空いたのでうどん屋で追加の夕食。

 県道167号に移って道後温泉へ。道後温泉駅前を通って急坂を登り、21時40分、ユースホステルに到着。

 せっかくの道後だけど、もうかなり遅くなってしまったので温泉には行かずにユースのシャワーで済ませ、洗濯だけして就寝。

追記:夜、コンビニでパンを買ったJR菊間駅付近、今治市菊間が瓦の名産地で、鬼瓦の製作もしているとかなり後になってテレビで知りました。西光寺の鬼瓦もここのものだったのかもしれません。