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開店休業の記

今日の本

数学にはこんなマーベラスな役立て方や楽しみ方があるという話をあの人やこの人にディープに聞いてみた本 1

 『数学にはこんなマーベラスな役立て方や楽しみ方があるという話をあの人やこの人にディープに聞いてみた本 1』(数学セミナー編集部:編 日本評論社)、読了。

 さまざまな分野で活躍する数学好き(しかし、その分野が直接数学と関連があるとは限らない)9人と1社へのインタビューをまとめたもの。うち、8人と1社の分は雑誌『数学セミナー』の連載記事。

 各氏の数学との関わりをきく、というもので、数式とその解説が延々と、ということはありません。特に数学が得意ではない一般の人でも読める内容です。

 9人と1社の中で、わたしが知っていた人が一人だけ。漫画家の高野文子! でも、おっしゃっていることが一番よくわからなかったのも、この人! 「こんな感覚を持っている人がいるんだぁー」と驚き。他には雲の研究者やゲームプログラマー、中学・高校の数学教師といった、当然数学と関連がありそうなお仕事をされている方も含まれているのですが、そうした方々の話の方がよっぽど理解しやすかったり。

 ムダに長い書名についても一応触れてあげると、「短い書名ではどうしても内容を的確に表現しきれない」ということが問題になり、そこであえて長くした、というのが編者の弁です。「それだけじゃないだろ、狙ってんだろ」とは思いますが、まあ、許そう。

今日の本

さいごの色街飛田

 『さいごの色街飛田』(井上理津子:著 筑摩書房)、読了。

 著者の作品を一度読んでいまして、おもしろかったので他に何かないかと思って読んでみたのがこれ。

 あちらは書名の通り、昔ながらの個人商店のルポで、こちらも古くからある商売の話ではあるのですが、売っているものが性。共通しているような、えらくかけ離れているような。

 わたしはずっと関東・埼玉県の育ちなので、関西・大阪の事情についてはまったく知らず、もちろん飛田という街についても初めて知り、こういうところがあるのかと驚きの連続でした。

 売っているものがものだけに、ぎょっとするような生々しい話がいきなり飛び出してくる一方、飛田の歴史についてもふれており、勉強にもなります。

 戦前、すでに女性の人権に配慮した反対運動があり、戦後、売春廃止法も制定されたにもかかわらず、生き延びた色街。著者が「あとがき」で述べている通り、その根底にあるのは「連鎖する貧困」だということが痛感させられます。飛田の経営者層がことさらカネもうけにこだわっているように感じられるのは、否定的に見られる仕事ゆえに、余計カネが頼りになってしまうから、ということも伝わってきます。

 著者が飛田の取材を開始したのが2000年の終わりで、本書が出版されたのが2011年10月。これだけ中身のあるノンフィクションを書くには時間がかかるものなのだな、ということも感じました(そして、多分お金も)。

 『絶滅危惧個人商店』のような平和的(?)なルポルタージュなら話を聞くこともそれほど大変ではないかもしれませんが、こうした仕事に就いていて「放っておいてほしい」と思っている人や「悪く書かれるかもしれない」と敵対的な態度を見せる人から取材するということはほんとうに難しそう。当たり前のことですが、このように取材の過程もまた生々しく書かれているのを読むと、改めて感じます。時にはちょっとしたウソも必要と。取材する側には柔軟な対応能力も必要なのですね。

 けんもほろろな取材相手に対し、つい迎合してしまい「私は一体何を言っているんだろうと思うもう一人の私がいるが、」と書くくだりには笑ってしまいましたが。

今日の本

裁判員17人の声

 『裁判員17人の声』(牧野茂・大城聡・裁判員経験者ネットワーク:編著 旬報社)、読了。

 一般国民の中から選ばれた裁判員が刑事裁判に参加する裁判員制度。2009年に始まったので、もう15年経ったわけですか。その割には裁判員の実情はあまり知られていません。そこで裁判員経験者17人にインタビューして、その体験を語ってもらい、「安心して前向きに裁判員裁判に参加するための有効な情報として」編集したのがこの本だそうです。

 選ばれる前までの裁判・裁判員制度の知識や関心、参加への意欲はさまざまなのですが、参加後の感想は皆さん、とても肯定的です。裁判員制度の問題点として、ほとんどの方が守秘義務について、厳しすぎる、範囲が不明瞭といったことを挙げているのも共通しています。

 そのあたり、あまりにも似通った意見ばかりなので、天の邪鬼なわたしは裁判員制度に否定的な意見も聞いてみたいものだと思ってしまいました。

 もっとも、裁判員候補者に選ばれてもその3分の2が辞退するなど裁判員を忌避する傾向がやや強いなか、裁判員を務めたのはもちろん、裁判後も経験者の交流会に出席するような方(このインタビューに応じた方は皆そうだとか)なら、ある程度共通した意見になるのは当然かもしれません。

 交流会というものが存在するくらいなので、裁判制度とか言論の自由とかとはまた別に、人は特別な体験を語りたいし、同じ体験をした人とそれを共有したいものなのだな、とか思ったり。

 内容はとても有用だと思います。これまでに12万人以上が選任され裁判に参加したとありますが、対象者全体からすればひとにぎりで、実際に選任される可能性はさほど高くなさそう。でも、された場合、とても参考になると思いますし、されないにしても読めば制度への理解が深まります。

 開始当初、「唐突に新たな義務が増えた」という印象から、わたしは裁判員制度についてはあまり好感を持っていませんでした。しかし、この本での経験者の感想含め、制度への評価が高いことを考えれば、理解が浅かったなと反省しています。

 もし、選任されることがあれば、支障がない限り、辞退せず、受けようと思います。

今日の本

南朝研究の最前線

 『南朝研究の最前線』(日本史史料研究会:監修 呉座勇一:編 朝日新聞出版)、読了。

 日本史史料研究会の監修する『北朝天皇研究の最前線』を読みましたので、北朝だけってのは不公平だよね(そういう問題か?)と、同じく日本史史料研究会監修のこちらも読んでみました。

 戦前までは正統とされていた南朝。しかし、現実には北朝の圧力(正確には北朝を支持した室町幕府の、ですね)の前に消えていった敗北者でありました。なので、もともと史料が乏しいそうで(南朝第3代の長慶天皇にいたっては史料の少なさゆえに即位したのかしなかったのかさえ長らくはっきりせず、ようやく即位していたと結論が出たのが大正になってからだったとか)、戦前盛んであった研究も、南朝正統論が意味を失った戦後は下火に。

 とはいえ、鎌倉後期から南北朝期全体の研究が近年進展した結果、南朝についても新たな成果が出てきたそうで、それを紹介する内容になっています。

 15人の研究者の論考からなっています。ざっと読んでも、あまりにも強すぎた『太平記』の影響から脱するのに苦労している、という印象です。加えて、研究対象が、南北いずれが正統か、誰が悪玉で誰が善玉で、とかいった実証史学の観点からはあまり意味を持たない論争に過去振り回されてきたのであったのだなと感じます。

 それと、建武政権の崩壊については、従来、後醍醐天皇の責任とされる傾向が強かったのですが、その点、見直しを提唱する論考もあって、なるほどと。個人的には、利害関係者の調整が難しすぎて誰が政権担当者をやってもうまくいかなかったんじゃないかと思っているのですが。建武政権崩壊後の状況、観応の擾乱とかの混沌をみると・・・。

今日の本

これで死ぬ

 『これで死ぬ』(羽根田治:著 山と溪谷社)、読了。

 奇妙な死に方についておもしろおかしく書いたマンガかと勘違いしそうな(わたしはしました・・・)書名・表紙ですが、内容は実用書に近いです。副題の『アウトドアに行く前に知っておきたい危険の事例集』そのままの内容です。

 アウトドアで実際に起きた死亡事例(一部、瀕死の状態から助かったものもあります)53を紹介し、あわせて死なないための対処法と知っておきたい安全知識を解説しています。

 字は大きめ、イラスト多めで、ページ数は少なく、サラッと読めます。念押しですが、ごくまじめな内容で、ウケ狙いは書名だけと思ってください。

 事例については、ニュースなどで過去に聞いたことがあるようなものがほとんどで、あまり意外な事例というのはなかったですが、「ブユの大群に襲われて死にそうになる」は初めて知りました。こういうこと、あるんだ。山がらみの事例が多いのは、やはり出版社が山と溪谷社だからでしょうか。

 特にアウトドアでの活動は考えていなくても(わたしもそう)、知識としては有用だと思いますので、とりあえず読んでおいて損はないでしょう。気楽に読めるものですし。

今日の本

日本の財政

 『日本の財政』(佐藤主光:著 中央公論新社)、読了。

 主要先進国の中でも最悪レベルの日本の財政。その現状を改めて確認し、問題点を指摘しつつ、対策を提案するもの。著者は経済学の研究者。

 税制や経済指標の説明ではやはり数字が出てきますので「誰にでもすぐに理解できる!」とはいかないでしょうが、堅実ではあっても専門的過ぎない文章でこの分野の書籍としては読みやすい方だと思います。ただし、指摘している問題点とその対策はかなり厳しいもので、そちらは受け入れやすいものではありません。

 わたしが理解できる範囲では、妥当な意見なのではと思います。わたしとしても、著者の意見に喜んで賛成しているわけではないのですが。

 「財政赤字は問題ない」と考える人も少なくないようですが、そちらの意見はどうも、わたしには腑に落ちません。また、今はだいじょうぶだとしても、限界はどこだと考えているのでしょう? 無限に財政支出が拡大しても問題ないとは思えないのですが。

 MMT( Modern Monetary Theory・現代貨幣理論)がそうした意見の根拠になっていることも多いようで、確かに以前読んだMMTの一般向けの解説書『財政赤字の神話』では「単なる財政赤字は過剰支出ではない」としていました。ただし、「財政の健全性はインフレが適正な状態にあるかどうかで判断されるべき」ともしていました。そして、今の日本は明らかにインフレへ向かっているので・・・。

 著者は政府の税制調査会の委員も務めている人物ですので、かえって「政府の代弁者になっているのでは?」と不審に思われてしまうのかもしれませんが、それはそれとしても、財政健全化を唱える論者がどのような根拠でそう主張しているのか、を知ることは有用だと思います。

今日の本

戦時下の政治家は国民に何を語ったか

 『戦時下の政治家は国民に何を語ったか』(保阪正康:著 NHK出版)、読了。

 戦前・戦中期の日本の政治家を論じた本ですが、取り上げ方が少し変わっています。現在残っている演説音源を文章に起こして解説するというものです。著者が「はじめに」でことわりを入れているように、この時代、そうした音源がふんだんに残っているわけではないので、取り上げられる政治家のバランス(重要な政治家であっても音源がないと対象にならない)からいうと疑問がなくもないのですが、それはそれとして興味深い試みです。

 ふだん政治家の演説など聴かないので「退屈なんでは」と思っていたのですが、そうでもなく、スラスラと読めました。これは自分でも意外。

 全体を通して読んで感じたのは、国際連盟脱退以後の第三章から急に精神論というか、勇ましいけれど中身がない空疎な主張が増えてくるということでした。読んでいてげんなりしました。第二章まではその時その時の政治課題に対して、どうするつもりかということがかなり具体的に語られていることが多く、同意するかはともかく、なるほどね、と感じるのですが。

 個別の演説で印象に残ったのは、まず濱口雄幸でしょうか。昭和金融恐慌後の時期だけに財政・経済対策が中心の内容になっています。「財政は紊乱し、国債は増加し、物価は騰貴して国民の生活を脅威し、貿易は入超を続け、為替相場は低落し」って、現在のことでは? 謹厳実直といわれた人物ですが、演説内容からもそれがうかがえるのはおもしろいです。

 もう一人挙げるとすると、斎藤隆夫です。掲載されているのは、「反軍演説」として知られているものです。

 「反軍演説」という言葉だけは知っていたのですが、内容はよく知らず、てっきり平和主義の理想を語ったものかと誤解していました。実際には冷静な現実認識に基づく正鵠を射た政府批判でした。

 すでに書いたようにアジア・太平洋戦争突入直前のこの時期、他の演説では勇ましさで中身のなさを糊塗するような言葉ばかりが並ぶ中、「頭を冷やせ!」とでも言いたげなこの演説には敬服すべき鋭さを感じます。

今日の本

謎の平安前期

 『謎の平安前期』(榎村寛之:著 中央公論新社)、読了。

 一般向けの歴史書の題に「平安前期」という切り口が使われるのは珍しいと思います。中途半端な気もしますが、平安時代って約400年もあって長いですしね。本書は平安時代の前半と後半では様相が大きく異なることを指摘し、うち前半期の特徴を著者の視点で紹介するというもの。この時代の通史的な本ではない(平安前期の歴史の流れについては、序章までの30ページほどでサラッと説明)ので、注意。

 本書も律令と実態の乖離という点に注目していて、その矛盾を国情にあった統治体制への修正で対応しようとしていた時代として、この平安前期をとらえているようです。

 著者は伊勢の斎宮関係の本をいくつも出している研究者で、それもあってか、官女、内親王、斎宮といった女性たちについて紙幅を割いていて、このあたり、なかなか一般向けでは解説が少ないところなので興味深いです。また、文徳天皇のような非常に印象の薄い天皇についても1章割り当てているとか、なかなかユニーク。反面、ちょっと踏み込みすぎた解釈をしているような感じもあって、時々首をかしげたりもしましたが。

今日の本

バズる「死にたい」

 『バズる「死にたい」』(古田雄介:著 小学館)、読了。

 著者の『ネットで故人の声を聴け』を読んでいまして、かなり強い印象のあった本でした。その2年半後に出た本書は、そちらと地続きのような内容かなと思って読みました。

 「地続きかな」という予想、間違ってはなかったようです。ただし、『ネットで故人の声を聴け』は、ネット上に存在する、死と直面した人たちの「思い」を紹介する、というところに重点がありましたが、こちらは「死にたい」とネット上で吐露する人たちをどう理解すべきか、そうした投稿とどう向かい合うべきか、著者が考えていくという内容になっています。

 具体的に実例を個別に挙げていった『ネットで故人の声を聴け』と比較すると、焦点がぼやけてしまった感じがあり、まとまりに欠いている気がしました。副題に「考察」とありますが、データ分析などによる客観的なものではなく、著者の自問自答と紆余曲折をずっと読んでいるような印象です。

 ただし、その紆余曲折に問題の難しさと留意すべき点があるとも感じました。この問題に関心があり、多少のまどろっこしさは気にしないという方なら一読の価値はあるかと。

今日の本

就職氷河期世代

 『就職氷河期世代』(近藤絢子:著 中央公論新社)、読了。

 就職氷河期世代。あまり説明の要もないと思いますが、バブル崩壊後続いた不景気時代、求人がそれ以前と比較して著しく悪化したとされる時代に社会に出なければならなかった世代を指します。

 本書は就職氷河期世代を1993〜2004年に学校を卒業した人たちと定義した上で、各種統計データに基づき、この世代の就業状況、収入格差、未婚化・少子化の実態、男女格差等を分析していきます。

 著者は労働経済学の研究者。著者自身、就職氷河期世代です。景気の悪い時代に育ち、なぜそうなったのか、理由が知りたいと考えて、経済学の道に進んだそう。

 各章、とにかくデータの分析が中心です。新書というより〇〇白書のよう。読みやすいとは言いにくいです。一方、そういう感想を見越してか、各章の最後に短く、分析のまとめをつけてくれたのは、理解する上でとてもありがたいです。また、余計な「読み物」的な文章がないことで、簡潔な内容になっており、参考資料として使うのには向いているかもしれません。

 本書の分析結果で、おそらく最も議論を呼びそうなのは、就職氷河期世代で急速に未婚化・少子化が進行したわけではなく、それ以前の世代からその傾向は継続してきたものであり、むしろ氷河期世代で下げ止まった、としているところでしょう。ここはしっかりおぼえておかなくては、と思いました。

 また、残念ながら経済的自立が困難なまま、高齢期を迎えてしまう層が一定数出ることは避けがたいとし、それを前提に対策を考える時期に来ているという提言も、厳しいですがそのとおりかもしれません。

 補論に使用した各種統計が挙げられていますが、そのなかの一つ、賃金構造基本統計調査、事務職の会社員時代に記入を担当していたことを思い出しました。