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開店休業の記

今日の本

古代日本の官僚

 「古代日本の官僚」(虎尾達哉:著 中央公論新社)、読了。

 律令体制下の官僚の勤務状況に焦点を当てた、ユニークな研究です。最近、日本史で従来とは異なる観点での研究が盛んのようで楽しい。

 しかし、現代的な基準でいくと、彼らの働きぶりはかんばしくないようです。

 天皇臨席の大事な儀式(朝廷的には)に、無断欠席者続出。特に下級官人に顕著。めんどうな仕事もバックレ。

 よくこんなことで統治システムが維持できたなと思うのですが、どうやらサボる連中が一定数いることを見越して体制を組んでいたようで。それはそれで問題あるような。

 規律を守らないならそれ相応の処罰をすべきでしょうが、そこも大甘だし、儀式に出席していない者の存在を「代返」で糊塗して儀式を成立させてしまうとか、いったい何をやってるんでしょうね。

 本書の副題に「天皇に仕えた怠惰な面々」とありますが、「怠惰」という風に言ってしまうのは、わたしは少々躊躇します。というのも、著者も指摘しているとおり、下級官人の出自はもともと儒教的官僚倫理の伝統などまるっきり持っていなかった古代日本の中小豪族、場合によっては一般庶民だったわけで、そうした人たちが法令に基づく規律正しき忠勤ができないからといって、「怠惰」はなんか気の毒。むしろ、それを求める方が「無茶」では・・・。

 日本の律令はご存知の通り、唐の律令をお手本にしているわけですが、初の統一王朝の秦以来とするならば、本家の中国でも800年以上の歳月をかけて試行錯誤して唐の律令にたどりついたのでありまして、それを手直しが入っているとはいえ、強引に導入してもなかなか一朝一夕には身につかなかった、結局身の丈に合わなかった、っていうのを強く感じさせられる本です。この前読んだ「平安京はいらなかった」もそうでしたね。律令と実態の乖離、というのはおもしろいテーマで、これからもいろいろ研究が出てきそう。期待してます。

 それと古代の人事官庁であった式部省が強い実力を持っていた、というのも興味深い話です。「組織の要諦は人事なり」などと現代の企業社会でも言われますが、それは古代も同じ?

今日の本

花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION

 「花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION」(ブレイディみかこ:著 筑摩書房)、読了。

 著者の意図と異なるようでしたら申し訳ないのですが、このタイトル、何度見ても吹き出してしまう・・・。花咲き誇る園で目をむいて叫ぶ John Lydon の姿が目に浮かぶ・・・・。

 で、まえがき読んで、またも吹き出してしまいました。あねさん、その出版社、一度倒産したことあるんで、洒落になってません・・・。

 元々2005年に出た英国貧乏暮らし話(この最初の出版元は発売直後につぶれたとか)に大幅加筆の上、12年も経った2017年にめでたく再発売されたもの。「DELUXE EDITION」なんてつくのはそのため。リマスターしてアウトテイクを追加したCDみたいですな。

 キレてます。大変結構でございます。

今日の本

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

 「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(デヴィッド・グレーバー:著 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹:訳 岩波書店)、読了。

 著者の定義するブルシット・ジョブとは、「被雇用者本人でさえ、その存在を否定しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」というものです。

 ネットで呼びかけて得られた体験談を具体例として紹介しつつ、なぜそのような仕事が存在しているのかを追求しています。

 著者はアメリカの文化人類学者。文化的な違いからか、時折首をひねるような記述もありますが(わたしたち日本人にとって、キリスト教倫理観はそれほどなじみがあるものではないですし)、「ブルシット・ジョブ」が存在することに、日本においても広汎に存在することにまったく異議はありません。わたし自身、見聞きしたことでもあります。

 わたし自身の仕事でいえば、プログラマ・SEは必ずしもブルシット・ジョブではないとはおもいますが、時にブルシット・ジョブ的な仕事の歯車に堕ちてしまうこともあることは否定できません。「こんなシステム、この世にないほうがマシ!」ってなね。くそっ。

 現代社会のお金の流れが何かまちがっているということを想起させるという点で、先日読んだ「財政赤字の神話」と通底するものがあるような気がします。

今日の本

ニュータウンの社会史

 「ニュータウンの社会史」(金子淳:著 青弓社)、読了。

 ニュータウン。

 この言葉の語感自体が全然「ニュー」ではなくなってしまったような。

 戦後、人口急増した東京に大量の住宅地を供給するために、1960年代に計画された日本最大のニュータウン・多摩ニュータウンが、紆余曲折を経て現在に至るまでをたどったもの。

 著者は社会学の研究者。ここの出身ではなく、多摩ニュータウンの文化施設に就職したことをきっかけに関わるようになったとのこと。最初に来た時はその人口都市的な光景に「この街は自分とは合わない」と思ったそうですが、結局転居して多摩ニュータウン住民になってしまったのだそう。高齢化、老朽化、人口減少と今や何かと否定的に見られがちな「ニュータウン」ですが、そればかりではないよう。

 ニュータウンではありませんが、わたしの居住地の近くにはかつて東洋最大級(死語だな)と言われた巨大団地がありまして、80年代あたりまでは賑わっていたのですが、その後衰退、一時は窓ガラスが割れたまま放置された空き部屋が見受けられるようになっていました。幸い、都内へのアクセスが比較的良好であったことからか、今世紀に入って高層住宅への建て替え等再開発が進み、再び活気が戻りつつあるようです。

 一方で親戚が住む埼玉県内の他の団地は、都心から遠く、再開発の計画も無いようで、今はひっそり静まり返っています。往時を知っている者からするとわびしい限り。

 そんなことをいろいろ読みながら考えていました。

今日の本

仏教抹殺

 「仏教抹殺」(鵜飼秀徳:著 文藝春秋)、読了。

 なかなか穏やかでない題ですが、明治初期の日本各地で発生した廃仏毀釈運動についてのルポです。

 廃仏毀釈というとたしか教科書にのっていたと思いますが、具体的にどんな様子だったかというのはあまり伝わっていないのではないでしょうか。維新について書かれた本なんて山のようにありますし、わたしもそこそこ読んでますが、あまり出てこない。

 地域差もあったようで、わたしが生まれ育った埼玉は幕府のお膝下だったせいか、そういう話は聞いたことがないです。しかし、ひどいところは凄まじい状況だったようで、本書で特に徹底して廃仏毀釈が行われた地域として旧薩摩藩が挙げられていますが、藩主の菩提寺まで廃絶させられるという有様。その実態を調べようにも、寺院・仏像・史料がまるで残っていないので困難を極めているとのこと。あったものがなかったことにされてしまう怖ろしさをじんわりと感じます。

 他にも廃仏毀釈の激しかった地域を取り上げ、限られた手がかりを元にどのようなことが行われたのかを探っています。明治新政権を樹立した倒幕勢力のイデオロギー的支柱であった国学思想が、こうした運動の遠因になっていることは確実ですが、一方で江戸期の仏教側の堕落に対する反感も見逃せないと、著者は指摘しています。

 個人的に見聞したところでは、6、7年前、山陰を旅行して鳥取県のある大きなお寺を見学した時に、ご住職から「この地域は明治の時、廃仏運動が盛んで、当寺も廃絶させられそうになったが、神仏混淆の修験道の寺であったことから神社でもあるとして辛くも免れた。神社であると見せるために(実は寺なのだけれど)参道に鳥居が建てられて今に至る。」というお話をうかがったことがあります(たしかに大きな鳥居がありました)。そのお寺の近隣には他にいくつもお寺があったそうですが、みな廃絶されてしまったとのことで、跡地に立ち寄ってみてもかつての様子を想像することもできないただの山野同然の場所になっていました。

 その後行ってみた隠岐でも廃仏運動は激しかったそうで(本書でも紹介されています)、平安時代に流された小野篁が寄寓したお寺の跡があるというので行ってみたら、案内板に「明治の廃仏毀釈により元の堂宇は焼失」とあり、「なんと、もったいない!」と思ったおぼえが。

 このようにして失われた由緒ある寺・仏像等は数しれず、廃仏毀釈がなければ国宝は現存の優に3倍はあったという意見もあるほどで、まったく情けないくらいもったいない話です。

 著者はジャーナリストであると同時に僧侶でもあるとのこと。なるほど。

今日の本

財政赤字の神話

 「財政赤字の神話」(ステファニー・ケルトン:著 土方奈美:訳 早川書房)、読了。

 近年話題となっているMMT(Modern Monetary Theory・現代貨幣理論)の一般向け解説書。著者はアメリカの経済学者で、この経済理論の提唱者の一人。

 MMTの主張するところをいくつか挙げてみますと、

 「通貨の発行者と利用者は違う。他の資産とは交換・連動させない不換通貨を独自に発行し、外貨建ての借り入れをしない通貨主権を持つ国にとって、財政均衡は重要ではない。重要なのは通貨ではなく経済の実物資源である。」

といったところでしょうか。

 本書では、日本も通貨主権を持つ国として挙げられており、著者は日本の財政赤字を問題ではないとみているようです。

 そのためか、日本では「財政赤字を容認する理論」として紹介されることが多いような気がします。そう聞くと、「野放図に財政支出を増やしてしまってハイパーインフレが起きるんでは?」と思ってしまうのですが、本書が重視しているのは財政赤字ではなくそのインフレで、「単なる財政赤字は過剰支出ではなく、インフレを引き起こすに至った場合が過剰支出である」としています。従って「財政の健全性はインフレが適正な状態にあるかどうかで判断されるべき」であり、(日本のように)「低インフレあるいはデフレの状態にある場合はむしろ財政支出が不足している」と説いています。

 従来の経済の常識とは大きく異なる考えであり、わたしも読んで正直、かなり戸惑いを感じています。 ただ、本書の内容についてはそれなりに説得力があるとも感じています。

 理論を支える数値的なデータは示されていませんが、本書が一般向けということでむしろ編集側が削ったようです。学問的にきちんと学びたいという人は、別の本をあたるべきでしょう。

 個人的には、「財政の健全性を赤字ではなくインフレで判断するというのが正しいとしたら、どのような指標を使ってそれがどのようになったら支出が過剰だと判断するべきなんだろうか?」という疑問を持ったのですが、それも本書レベルでする話ではないのかもしれません。

 非常に興味深い内容でした。とはいえ、著者の主張が正しいかどうかは、経済学の素養がないわたしには判断しかねます。この主張に対する反対派の意見が聞きたいです。その上で是非を考えていきたいと思います。

 コロナ禍により経済が停滞せざる得ず、多くの人が経済的困窮に直面する中、なぜか株価は上がっていくという異常な状況を見ると、お金の循環に何か問題があるというのは素人目にも間違いないと思います。MMTが正しいかは別として、新しい経済の考え方が必要だと思います。

今日の本

ブロークン・ブリテンに聞け

 「ブロークン・ブリテンに聞け」(ブレイディみかこ:著 講談社)、読了。

 この人の著書、この前1冊読んだばかりですが、おもしろいのでまた読んでます。今回は2018年から2020年にかけての英国時事ネタエッセイ31編。

 英国名物パブが衰退しているとは知らなかったな。

 内田善美(!)とかマルコム・マクラレンとか言われても、20代とか30代とか若い世代は首をひねるのでは? 掲載されてたのは文芸誌だそうで、若い世代は少ないかもしれないけど、文芸誌の読者層に著名とも思えないけど。まあ、ネットで検索すれば問題ないか。

 おお、「家族を想うとき」か。

 おお、「さらば青春の光」か。

 とか、いろいろ。今回もおもしろかったです。

今日の本

初心者の素朴な疑問に答えたサッカー観戦Q&A

 「初心者の素朴な疑問に答えたサッカー観戦Q&A」(西部謙司:著 内外出版社)、読了。

 女子サッカー・なでしこリーグを観に行くようになって5、6年になります(今年秋からプロリーグのWEリーグも始まるので楽しみ♪)。もともと自分でサッカーをした経験はほとんどなく(体育の授業くらい)、実はよくわかってないのですが。さすがに基本的なルールはわかっていますが、せっかく観に行っているんだから、それ以外にももうちょっといろいろ理解しておいたほうがいいよね。自分でもそう思います。

 そういうレベルの人が勉強するのに最適と言うか(笑)。

 著者はサッカージャーナリスト。サッカーに関する著書・解説記事多数。ちょっと前ですが、ネットで掲載された下のコラムは、読んで大笑いしました。サッカーに関する記事は、紙媒体・ネット双方で腐るほどありますが、読んでおもしろい文章が書ける人は稀で貴重です。

 度を越して素朴な質問にミもフタもない回答の応酬、になっているような気がします(笑)。この回答で質問者、納得するかしら? ってのも少なくないんですが、そもそも、「これ。答えんの、無理!」と回答拒否者続出しそうな質問が連発されてますんで、よくがんばってるとも言えます。

 WEリーグは多分、女性に多いスポーツ観戦初心者層を取り込みたいと考えているんじゃないかと思うんですが、観戦ガイドを兼ねて来場者プレゼントに本書なぞいかがでしょうか?(笑)

今日の本

絶滅危惧個人商店

 「絶滅危惧個人商店」(井上理津子:著 筑摩書房)、読了。

 東京都内を中心に個性ある個人商店を訪問して、お店の方のお話を聞く、という企画をまとめたものです。紹介されているのは計18店。オススメ商品を掲載した名店ガイドの類とは違います。仕事の仕方、店の成り立ちといったところを主にとにかく話を聞き、店の雰囲気を伝えるという内容です。

 絶滅危惧。

 もはや、そう言っちゃってもいいのかもしれませんね。わたしも個人商店で買い物することがめっきり減りました。子どもの頃はそっちが当たり前だったですけど、今ではもっぱらスーパー、コンビニ、チェーン店と。

 おもしろかったです。

 これが「貴重な記録」になってしまいそうなのが、少し寂しいですが。

今日の本

ゴシックの解剖

 「ゴシックの解剖」(唐戸信嘉:著 青土社)、読了。

 この本の題を目にして、ふと思ったのですが、建築や美術に文学、さらにはポップカルチャーの領域にまで、広く使われるこのゴシックという言葉、「その意味するところは?」と改めて考えると、ボンヤリとしたイメージがあるばかりで意外とはっきりした答えが出てこないものだなと。では、読んでみよう、というわけです。

 著者は英文学者。英米文学に表れた「ゴシック」を中心に、その思想的背景を探っていきます。

 今につながるゴシックの淵源は宗教改革にあると、著者は考えます。このへんはキリスト教の歴史に疎い一般の日本人には気がつきにくいところですね。

 科学的合理主義、ヒューマニズム(人間中心主義)、民主主義といった近代の主流となっていく思想を揺さぶり、足元から侵食していく闇。圧倒的な存在を前にした時に感じる、卑小な己の恐怖と無力感。無邪気すぎる生の肯定の薄っぺらさ。

 なるほど、逆説的ではありますが、生を強く実感するのは死の恐怖が迫った時であると。

 とはいえ、絶対者の前にひれ伏す、といった思想的経験を積んでこなかった日本人としましては、やはり「ゴシック」は彼岸のもの、という感じをどうしても受けてしまいますが。わたしたちは「ゴシック」じゃなくて「諸行無常」なもんで。