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開店休業の記

今日の本

もしも病院に犬がいたら

 『もしも病院に犬がいたら』(岩貞るみこ:作 講談社)、読了。

 この前、読んだ『キリンの運びかた、教えます』がとてもおもしろかったので、同じ作者の本をまた。

 講談社の児童書文庫のシリーズの1冊です。小学上級からとなっており、漢字はすべてルビ入り。

 こちらもノンフィクションです。

 日本で初めてファシリティドッグとして活動した犬・ベイリーのお話です。ファシリティドッグというのは、病院で活動するために専門的に育成された犬で、ふれあいによる患者の精神的な健康の維持等の支援(アニマルセラピー/動物介在療法)をします。

 ノンフィクションですが第三者視点ではなく、ベイリーのハンドラー(ファシリティドッグとともに活動し、ファシリティドッグの訓練・指示・世話もする人)の語りという形式です。看護師だったハンドラーが、ハワイで訓練されていたベイリーとともに研修を受けてハンドラーとなり、いっしょに日本へ戻ってこども病院で活動する様子を描いています。対象者の年齢に合わせた、とてもやさしい文章です。

 ですが、こども病院のことが書いてあるので、ちょっと辛い場面も。子どもが重病っていうのは、どうにもキッツいです(嘆)。

 わたしは以前、ファシリティドッグがいる病院に何度か通ったことがあります。それなりに状態の悪い人たちが入院していたところだけに特に空気が重く、訪ねるのも気が進まないような雰囲気でしたが、ファシリティドッグがいるところだけはパッと明るくなる感じでした。そこではいつもハンドラーがついているわけではなく、わりと好きに歩き回っているようでした。受付でわたしが面会のための申込みを書いていると、いつのまにかそばに来ていて、おすわり。「おやおや」と思って頭を撫でると、すぐにひっくり返ってお腹を出していました。賢い犬(元警察犬だったらしい)で、オシッコしたい時は自分から事務の人のところに行って伝えて窓をあけてもらい、外でしていました。

 やはり、犬は愛、なのか。

今日のマンガ

総員玉砕せよ!

 『総員玉砕せよ!』(水木しげる:作 講談社)、読了。

 作者といえば、『ゲゲゲの鬼太郎』に代表される妖怪漫画で知られていますが、こちらはアジア・太平洋戦争末期に南方で玉砕した日本陸軍のある部隊を描いたもの。作者によれば「九十パーセントは事実」とのことです。作者自身、もともと、この部隊に所属していたのですが、その前年に爆撃により左手を失う重傷を負い、後送されていたそうです。

 かっこよくないし勇壮でもない、軍服を着ているだけで中身はそのへんの庶民という兵隊たちが右往左往し、そしてごくあっさりと死んでいきます。あまりにもあっさりと死んでいくので、悲劇的にも見えません。救いもなく、ただ、無残。無残。

 武器も食料も不足する中、理不尽さだけはたっぷり。何をしてもしなくても殴られ、重労働に喘ぎ、勝ち目のない戦いを強いられ、どうにか生き残っても「死なねばならぬ」と強要される兵隊たち。そして、後になれば隣の地区の守備隊の隊長から「あそこをなんのために死守したのかわからない」と言われるような、無意味な戦場で死んでいく兵隊たち。

 この作品には死んでいった人たちの鎮魂のため、という意味合いもあるのでしょうが、この無残な有様をそのままこちらへ投げつけるような表現からは、むしろ「あとがき」にあるように、作者のこの空しさに対する怒りの方が強く伝わってきました。

今日の本

ねこと王さま

 『ねこと王さま』(ニック・シャラット:作・絵 市田泉:訳 徳間書店)、読了。

 児童書です。出版社のサイトによると、小学校低中学年向け。

 りっぱなお城に暮らしていた王さま、火を吹くドラゴンにお城を燃やされてしまい、一番の友達のねこと町へ引っ越して小さな家に住むことに。世間知らずで「王さまのしごと」以外は何もできないけれど天真爛漫な王さまを、しっかり者のねこが甲斐甲斐しく世話をして、始まった町での生活は、さて?

 こんな話を書くのはきっとイギリス人だろうと思ったら、やっぱりイギリス人でした(笑)。

 こんなに仕事ができるねこがいてくれたら、どんなにうれしいことか! でも、ねこが?(笑)。

 王さまの引越し先のお隣さんは、クロムウェルさん。お城で暮らせなくなった王さまのお隣がクロムウェルさん・・・?

 深読みし過ぎだろうか・・・? しかし、ブラックユーモア大好きなイギリス人なら・・・。

 いや、そういうことは気にしなくても、楽しいお話です。

 やっぱり、点の眼が好き。

今日の本

朱子学入門

 『朱子学入門』(垣内景子:著 ミネルヴァ書房)、読了。

 中国・南宋の朱熹を源流とする儒教の学派・朱子学は後に体制と結びついて儒教の主流となり、日本でも江戸時代に事実上幕府公認学派となり、歴史の教科書にもそのことによって載っています(少なくともわたしの世代の教科書では。今でもそうだよね?)。

 思想としても歴史的な役割からも非常に重要な位置にあるはずなんですが、その割にはどういう教えなのかはあまりよく知られていないようですし、わたしもよく知りませんでした。

 そのことにふと気がついて、何か一般向けの解説書でも読んでみようと思ったら、これが意外とないんですな。どうしたことだ?

 朱子学の研究者である本書の著者も、本書出版時点(2015年)で「一般向けのわかりやすい概説書はほとんど見当たらない」と言うお寒い状況の中で、興味を持った人がただでさえ理屈っぽいと言われる朱子学のわかりにくさの前に挫折しないよう、初歩の初歩、「入門のための入門書」として書いたのが本書とのこと。大学の一般教養科目の講義が元になっているそうです。

 そのとおり、著者ができる限り、わかりやすい表現を心がけ、かみ砕いて朱子の思想を伝えようとしていることは感じます。だいぶ苦労されたでしょうね。

 ただ、それでも、どこまで理解できたのやら。この思想の基本的なところもまだおぼつかない感じです。文章としては読めてはいても、実感として腑に落ちるというところまでいってない、というか。もう少しこっちが勉強しないと。

 その一方で、朱子の思想は本来、心の問題を論じるものである、ということは初めて知り、驚きました。ほとんど根拠のない先入観によって、礼の作法の些末なところまでこだわる形式主義のようなものかと勝手に思い込んでいたので。やっぱり読んでみるものです。

 また、朱子学が宋代に盛んであった仏教の対抗思想の側面を持っていたこと、その朱子学のこれまた批判者として登場した王陽明の思想の紹介、日本での朱子学の受容のされ方など、とてもおもしろく、また朱子学について別の本も読んでみようという意欲を持たせてくれる本でした。

今日の本

母という呪縛 娘という牢獄

 『母という呪縛 娘という牢獄』(齊藤彩:著 講談社)、読了。

 信じがたい生育環境で育った加害者が母を殺害し、逮捕され、当初殺人を否認しながら控訴審で一転して認めるまで。

 まるでホラー小説のような、しかしノンフィクションです。小説であればよかったのに。

 実話であることが伝わる部分を削除して、黙って読ませれば小説だと思いこむ人が少なからず、いそうです。

 わたしは・・・、怖ろしさも、もちろん感じましたが、それ以上に読んでいて、息苦しく。

 数ページ読んでは本を置き、しばらくたってからまた数ページ。水の中に顔を押しつけられながら読んでいるようでした。

 加害者と被害者の、メールやLINEでのやりとりから浮かぶイメージは、暴風吹き荒れる不毛の荒野か、出口なしのじっとり冷たい地下室。

 誰が何をどうすればよかったのか。こうなる前にどうにかするべきだったのは当然ですが、でも、どうすれば。それを考えると、読み終わった後も重苦しい閉塞感が残ります。

 書名の「牢獄」、加害者の生育環境はこの本によって幼時から犯行時までをたどることができるのですが、一方でごく短い記述だけの被害者のそれはどうだったのか、気になっています。なぜこのような親子関係に陥ってしまったのか。本書を読む限り、それを主導したのは被害者のように感じられるのですが、被害者もまた苦悩していたのは間接的ながら伝わってきます。被害者の「呪縛」はどこからきたのでしょうか。

 著者は元共同通信社の記者で、この事件当時は在職しており、裁判担当として公判の傍聴もしていたとあります。本書は著者が送った質問に加害者が返信することで作業が進められたとのことで、著者曰く「二人の合作」だそう。

今日の本

秘境ブータン

 『秘境ブータン』(中尾佐助:著 社会思想社)、読了。

 原著は1959年発表。植物学の研究者である著者が、当時インド以外の国と国交がなく謎の国であったブータンに特別な許可を得て日本人として初めて入国し、1958年6月からの数ヶ月、植物採集のため各地を探検した際の記録です。現国王の祖父で2代前の国王の時代になります。内容は植物関連にとどまらず、地理・気候・文化・風俗にまで及んでおり、近代化に本格的に取り組む前のブータンの姿をとらえた、貴重な記録ではないかと思います。

 文章は時代に相応してやや古めかしいところはありますが、読みにくくはありません。

 わたしがブータンと言われて思い出すのは、映画『ブータン 山の教室』。

 本書の当時、著者が国内で自動車を見ることはなかったというブータンも、それから60年を経た映画の時点では、首都は近代化が進んでいることが見て取れました。一方、映画でも僻地へは交通手段がなく、野営と徒歩の旅が描かれていました。本書を読みながら、「当時はもちろんそんな感じだったろうな」と映画の場面を思い出しました。また、峠には石の塚(ラプツエ)があると記されており、映画にも出てきました(はず。多分、あれだよな・・・)。著者の行程を巻末付録の地図で確認すると、残念ながら映画の主要な舞台・ルナナ方面には行かなかったようですが。

 ブータン探検と直接は関係ないですが、本書の出だしで今西錦司、桑原武夫、本多勝一といった名前が続けざまに出てきてびっくり。著者を含め、いずれも京大出身で登山家でもあったという共通点があるのですね。

 蛇足ですが、映画のことを思い出してちょっと検索してみたら、日本ブータン研究所という団体のおもしろいコラムを見つけました。ご参考まで。

今日の本

あるある! 田舎相続

 『あるある! 田舎相続』(澤井修司:著 日刊現代/講談社)、読了。

 特に相続に関係ある立場ではないのですが、ちょっと「田舎相続」という言葉にひかれて読んでみました。

 著者は埼玉県北西部で活動する司法書士・行政書士。

 本書では田舎相続の大きな特徴として「土地がついてくること」を挙げています。土地の価値が高い都市部と異なり、むしろ「厄介資産」になっていることも多いとか。また、田舎の方が地縁・血縁関係が濃いため、相続がこじれると余計、後に尾を引いてしまうという傾向もあるそうです。

 そうした実情を踏まえて、相続の際にトラブルになりがちなポイントを具体的な例をあげながら解説する、という本です。初心者向け実務寄りの本としては、読みやすくわかりやすくて、なかなかよいなと思います。

 もっとも、内容の半分以上が田舎だけでなく都市部でも気をつけなければいけないことではないかなと思うのですが、そこはまあ、どっちにしても要対策ということで、それもよいのかも。

 ところで、わたし、著者の活動地域である秩父地方の不動産紹介サイト「ちちぶ空き家バンク」を、興味本位で時々見ています。

 物件の中には「農地法3条の許可が必須」と注意書きがついているものがあり、「これ、なんだろな?」と思っていたのですが、本書の最初の事例がいきなり農地がらみの相続です。なるほど、そういうことか。リアルだ(笑)。

 おまけで秩父市の中小企業診断士との対談や横瀬町の町長の寄稿がありまして、あのへんは何度か旅行で行って現地を見ているので実感がわきます。そこで田舎の相続にともなう事業承継について「(地元では)昔ながらの民宿が成り立たなくなった。古民家ゲストハウスというビジネスモデルのほうがいいかもしれない」という発言があったのですが、わたし、秩父に行ったとき、まさにそういうところに泊まったおぼえが・・・。

今日の本

ずかん世界のくつ・はきもの

 『ずかん世界のくつ・はきもの』(鈴木絵美留:監修 技術評論社)、読了。

 以前読んだ『ずかん自転車』と同じシリーズです。

 靴・履物の図鑑って珍しい気がします。わたしは初めて。

 世界各地の履物、そして日本のいろいろな時代のいろいろな用途の履物を紹介する本です。

 対象年齢は不明、漢字あり、ふりがなあり。

 『ずかん自転車』もそうでしたが、かなり詳細で大人にとっても読み応えあります。紹介されている履物を実際に作ってみる手順まであって、小学生あたりだと、むしろついていけるか心配なくらいです。写真もきれい。

 くつは1万年以上前から存在していたそう。天狗が履いている一本歯げた、なぜあんな不安定そうなものを使うのか不思議だったんですが、岩場を登るには適しているんだそう。エルトン・ジョンのステージ用厚底靴まであるよ。

 なかなか楽しい本でした。

今日の本

ある行旅死亡人の物語

 『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志・伊藤亜衣:著 毎日新聞出版)、読了。

 先にネットで記事が配信され大きな反響を呼び、その記事を元に大幅加筆・再構成されて出版されたノンフィクションです。

 2020年4月、兵庫県尼崎市で高齢の女性が亡くなっているのが発見された。身元不明。これだけなら珍しくないが、彼女は右手の指を全て失っており、彼女の質素な部屋にはそれに似合わぬ大金が残されていた。ネタに困ってネット巡りをしていた記者がたまたまこの情報を行き当たり、さほどの期待もなく役所の当該部署へ電話を入れたことから、さらに死者の不可解な境遇を知る。同僚とともに本格的な調査を始めるが、遺された情報は乏しく・・・。

 ミステリーのような実話です。ただし、いくつかの事実は調査によって明らかになっていきますが、フィクションではありませんので全ての謎がスッキリ解けて結末というわけにはいきません。そこにもどかしさを感じる人も少なくないかと思いますが、一方で謎が残ったことによる余韻のようなものもわたしには感じられて、これはこれでもいいと思いました。

 読んだ後に表紙を見直すと、ぬいぐるみを持った後ろ姿がまた違ったように感じられます。

 謎の解明とは別に、記者の調査の過程も読みどころかと。始めから大事件であることがわかりきっている場合ではなく、この件のように当初は記事になるのかどうかもわからないことをどのように追っていくのか、その様子も記者本人が書いているだけに具体的でおもしろいです。かなり偶然に助けられているのもノンフィクションらしいです。

 文章も読みやすく、高く評価されたのも納得。

今日の本

史伝 北条義時

 『史伝 北条義時』(山本 みなみ:著 小学館)、読了。

 鎌倉期の研究者による、武家全国支配の道を開いたとされる鎌倉幕府執権・北条義時の伝記です。出たのが3年前なので、ほぼ最新の研究成果を盛り込んだ内容です。

 読み終わって思うことはまず、エピローグにある著者の言葉への共感です。曰く、「義時の赤裸々な人間としての性格はどうかと問われると、結局、想像の域をでない」とのこと。

 そう、この本自体は、義時の生い立ちから事績、その死、さらには死後の評価まで丹念に追った、中身の濃いものなのに、それでも義時の具体的な人物像を思い浮かべられるようなエピソードはさっぱりないのですね、これが。どうも史料に残っていないらしいです。

 連続する内部闘争をくぐり抜けて鎌倉幕府の指導者となり、討伐対象として朝廷から名指しされた承久の乱にも勝って、幕府の朝廷に対する優位を確立した日本史上において特筆されるべき人物でありながら、なんなんでしょう、この個性の乏しさ。教科書にものっているような歴史上の人物で、ここまで印象の薄い人って他にいないような気がします。

 彼がこの時代の動向を左右する重要な位置にいたことはまちがいないのですが、でも、この人、主体的に動いていた形跡があまり見えないんですよね。受動的、あるいは巻き込まれ型と申しましょうか。

 実は不思議な人でありました。