『吾妻鏡』(藪本勝治:著 中央公論新社)、読了。
吾妻鏡は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王までを描く史書です。書かれた時期も著者もはっきりしていませんが、鎌倉時代も終わりに近づいた1300年前後の成立で当時の幕府関係者によって書かれたと考えられています(そのへんの論考も本書序章で述べられています)。
ということで、一応、鎌倉幕府公式の歴史書、という位置にはあるのですが、昔からその内容に問題が多いことが指摘されていたものでもあります。
本書は吾妻鏡の合戦記述を中心に概ね時系列順に追っていくのですが、吾妻鏡の解説本という観点の本ではなく、その多くの問題、錯誤、改変、あるいは不記載について洗い出していくという、史料としての吾妻鏡批判というような内容になっています。
その上でこの史書を著者は、「正確な歴史的事実の記録を目指した史書」というより「書き手の主張したいことに沿って描かれた歴史物語」として解釈していきます。
吾妻鏡の問題点については鎌倉時代関連の歴史書にはよく指摘があるので知っていることも多かったのですが、それを主題にしてこれだけまとまった形で検討している本を読むのはわたしは初めてで、おもしろかったです。
著者の吾妻鏡解釈の主張もおもしろいのですが、ここが妥当かどうかは判断が難しいです。「他の史料と照らしてここは怪しい」とか「ここで重要な出来事が起きているのに触れていない」といったことを指摘するのはある程度客観的にできることだと思いますが、では「そのような書き方になっているのはなぜか」という解釈は、どうしても読み手の主観に引きづられがちだと思うからです。
例えば、本書でも検討されていますが、吾妻鏡は前半と後半では書きっぷりが大きく変わっているという点について、そこに著者の意図を見出すことも可能かもしれませんが、単純に前半と後半では書き手が変わったからとか、編纂が途中で放棄されてしまい後半部分は粗略なまま放置されたからとかいう可能性も考えられるわけで。
紙幅の関係からか、畠山重忠滅亡から北条時政追放の時期について触れられていないのは残念。ここもおもしろそうなのに。
あと、本書でも北条義時の影が薄いのが、なんだか可笑しいです。
吾妻鏡が、鎌倉幕府の正統は源氏3代の将軍から尼将軍・北条政子へ継承され(この時期の義時は執権であっても NO.2 でしかなく)、その政子が執権に指名した北条泰時(義時は政子より先に亡くなっていた)に受け継がれている、という観点で書かれているので、義時は重要ではないということですっ飛ばされているのでしょうか。それとも、根っから影の薄い人だったってことでしょうか。
義時については頼朝から「定めて子孫の護りたるべきか」と賞賛されたことがあると吾妻鏡に書かれているのですが、結局義時は頼朝の子・頼家も実朝も護れなかったわけで・・・。吾妻鏡が北条氏擁護を基本路線として描かれているのは多分まちがいないところですが、それならこの記述はどうしても書く必要がある部分ではなかったように思えるしむしろ要らないんじゃないかと(皮肉にしか聞こえないので)前から疑問に思っています。合戦の記述を中心に見ていく本書ではこの部分には触れられていないのですが、このへんの解釈もぜひ知りたかったです。
そう、同様に、幕府出仕の女官で大変な美人だったという姫の前に義時が恋文を送ったのですが相手にされず、それを聞いた頼朝が義時に「絶対離婚しません」という起請文を書かせた上で仲をとりもったという逸話も吾妻鏡にあるそうですが、実はそれなのに頼朝の死後、離婚してしまったことが明らかになっており(姫の前が京都で貴族と再婚したことがわかる記録がある)、起請文、守ってないじゃん、義時。神罰、くらったかしら? これも必要不可欠な話でもないだろうし書かなくてよかったんじゃないかと(皮肉にしか聞こえないので)思ってますが、どうなんでしょ?
単に吾妻鏡の編集が雑だったから? 謎は残ったままです(笑)。