『ナショナリズムの美徳』(ヨラム・ハゾニー:著 庭田よう子:訳 東洋経済新報社)、読了。
ナショナリズムの理論書として評価されているとのことだったので、読んでみました。著者はイスラエルの哲学者・政治理論家。原著は2018年の出版。
いやー、読みにくい、読みにくい! いつもだったら、途中で読むのやめるレベルの読みにくさでしたが、がんばって読み切りました。誰か褒めて。
章によっては、わりとすんなり読めることもあるので、訳の問題というより原文がそうなんではないかと思います。
読み切りはしたものの、3割も理解できてないんじゃないか、という気はします。それでも思うところはいくつかあるので、一応書いておきます。
著者はナショナリズムを「ネイションがそれぞれ独自の伝統を育み、干渉されることなくそれぞれの利益を追求し、それぞれが独立した針路を定めることができるとき、世界は最良の形態で統治されるという原則に基づく立場」(本書17ページ)で「自由独立国家の世界を打ち立てようとする、反帝国主義的理論を指す」(本書21ページ)と定義しています。この定義が他者の唱えるナショナリズムと重なるかどうか、まず検討の余地がありそうですが、ともあれ、この定義に沿って本書は展開していきます。
なお、本書ではネイションという言葉が頻出しますが、著者はこれを「共通の言語や信仰をもち、防衛やその他大規模な事業のために一丸となって活動した過去を共有する、多数の部族(tribe)のこと」(本書32ページ)と定義しています。
本書は3部構成で、第一部は著者の言う西洋政治における2つのビジョン、帝国主義とナショナリズムの歴史的な展開を説くものです。
西洋とは別の伝統の中で育った者としてはなじみのない話が続くので、「とりあえず聞き置く」という立場で読んでいましたが、違和感はかなりあります。
特に旧約聖書の影響力を強調しすぎているのではないかと感じます。イスラエル出身のナショナリストらしいところではありますが、他の文化・思想の影響の検討があまりに少ないので、どうしても身びいきを感じてしまうところです。
ナショナリズムに対立するビジョンとしてあがっているのが帝国主義で、こちらは「可能な限り単一の政治体制において人類を統一することにより、世界に平和と繁栄をもたらそうとする」(本書17ページ)思想であると定義しているのですが、これもどうでしょう? 万人が納得する定義かどうか、疑問が残ります。
リベラリズムに「境界線をすべてなくし彼らの普遍的規則の下で人類を統一」(本書62ページ)しようとするような傾向はたしかにあり、その点が帝国主義に通じる、という著者の主張はあながちまちがってはいないとは思います。ただ、ここから著者はリベラリズムもナショナリズムに対立するビジョンとみているようですが、わたしは他国には干渉せずネイション内部でのみ追求されるリベラリズムというのもありうると考えますので、強いてこの両者を対立的に見る必要があるのかについても疑問に感じます。
同様に、「ヒトラーはナショナリズムの提唱者ではなかった」(本書56ページ)し「ナチス・ドイツは、実際にはあるゆる意味で帝国主義国家」(本書57ページ)とするのはどうでしょう。ナショナリズムかつ帝国主義というのは、自ネイションの利益を追求した結果、他ネイションを下位に置いて統一する、という形でこちらも両立するように思います。ナショナリズムと帝国主義を排他的にとらえる著者の考え方に無理があるのでは?
なお、著者はEUに対しても帝国主義であるとして非常に批判的です。
第二部が帝国主義(著者の言うリベラリズム帝国主義を含む)に対するナショナリズムの優位性を説明しています。なお、反帝国主義の立場から著者は(帝国主義的な)リベラリズムに対してかなり批判的ではありますが、リベラリズム自体には評価するべき点はあるとも言っており、ナショナリズム絶対主義というわけではなく、比較優位にあるという立場のようです。
一番読みにくかったのが、この第二部。文章の流れがまどろっこしい上に、「親が子どもを自分自身の一部として理解しているという事実である。(中略)永遠に、子どもは自分自身の一部だと親は考えるのである」(本書110ページ)とか書かれるとねぇ・・・、このあたりで拒否反応起こす人は少なくなさそう。
ただ、個人は近しいものと何らかの組織を構成して生きていくものであり、それが拡大していってネイションの基盤になっているという主張については否定しません。
著者は、世界秩序の階層構造を小さな単位から順に、個人、家族、氏族、部族、ネイション、(あるとすれば)帝国ととらえた上で、ネイションと帝国は相容れず、「最善の政治秩序とは独立した複数の国民国家からなる秩序である」(本書196ページ)としています。が、一通り読んでも、わたしはこれを説得力ある意見とは感じられず、「各ネイションが最大限の利益を追求するなら、むしろそのために一部の権限を移譲した超ネイション的な組織を構成する、っていうことがあってもいいんじゃない?」と思ってしまいましたが。
また、固有の文化・伝統を持っていても集団として小規模すぎて独立した国民国家を構成することが困難な場合が少なくないことを認めながら、ではそうした集団はどうすればよいかということには口を濁しているように見えます(わたしの誤解でなければ)。
最後の第三部では、「憎悪」をテーマとし、ネイション間の憎悪、そして帝国主義者がネイションに向ける憎悪を考察しています。
第二部に比べればまだしも読みやすかったですが、説得力は・・・。特に今のガザの惨状を思えば、「自分たちが何やっても外部から口出しされたくないから超ネイション的組織の否定に走ってるだけなんじゃないの?」と邪推したくなるような内容になってしまっています。それまでの「最善の政治秩序」云々の主張がここでまったく虚しく感じられてしまいます。
本書の解説者は著者の議論を「普遍性を有する政治哲学」と評価していますが、それもどうでしょう? 本書を読んでも「ナショナリズムは普遍性より個別性を優先する立場」のように思えたのですが。・・・、あっ、そっか。「普遍性より個別性を優先する立場」というのが普遍的であるというわけですね。わかりました。
それにしても読みにくかったです(しつこい)。ナショナリズムについては、また別にもうすこし理解しやすい本を読んでみたいなと思います。