『南北朝正閏問題』(千葉功:著 筑摩書房)、読了。
ちょっと前に読んだ『南朝研究の最前線』によると、戦前の南北朝正閏問題が結果として戦後も長らく研究に影響していたとありました。
そういう論争が政治・社会問題化したことさえあったというのは聞いたことがあったのですが、それ以上のことはさっぱりだったので読んでみました。この時代の知識が昔の高校日本史教科書程度しかない者からすると読みやすい本ではなかったのですが、その政治問題化する過程は少なからず示唆を受けるものがあります。
本書でいうところの「南北朝正閏問題」とは、明治も最終盤・1911年、教科書の南北朝期の記述をめぐる新聞報道に端を発し、政府批判と結びついて国会でも取り上げられ、ついには明治天皇の認定を受けるに至って南朝正統が「正しい歴史観」となり教科書改訂が決定するも、改訂を担当する政府委員たちの間でも見解に相違があったことから再び論争となり、当時の桂内閣の閣議決定によりようやく決着するという一連の流れを指しています。
読む前にわたしが思っていたより、はるかに複雑な情勢により生じた問題でした。議会内で鬱屈する少数派政党・議員、「官学」に不満と対抗心を抱く私学の学者、さらには新聞社の思惑や前年に起きた大逆事件の影響などがからんで急速に大問題へと発展していきます。
当時の首相・桂太郎が後年、この件が生涯最も痛心したことで、日露戦争での苦労さえ同列ではないと語っていたのは驚きであると同時に、まぎれもなく北朝の血統である明治天皇を奉じながら南朝を正統とする水戸学を思想的な背景として成立した明治政府からすると、その基盤を根底から揺るがしかねない重大な問題との認識があったことがうかがえます。
その一方で、そこまで重要な問題だったということが、100年以上後の時代に生きる身としてはどうにも実感できない、というのはあります。南北いずれが正統であるかなどということは、現代では歴史学的にも政治的にもまったく問題にもならないわけで、そこはまさに隔世の感、です。