『象徴天皇の実像』(原武史:著 岩波書店)、読了。
著者は以前にも何冊か読んでいる日本政治思想史の研究者です。副題が『「昭和天皇拝謁記」を読む』であり、著者による同書のポイントとその解釈という内容です。
今年、やはり『昭和天皇拝謁記』の一般向け解説本が出ており、少し前にそちらも読んでいます。出版社も同じですが、著者によれば別々に企画が進行していたので、特に関係はないとのことです。
先に出た方と共通して注目しているところ(昭和天皇が「象徴」という立場をどう考えていたのか、など)もありますが、著者が特に重視している点が、母・貞明皇后との関係です。ここは『皇后考』を書いた人だけに当然かもしれません。
また、昭和天皇は国内の共産主義勢力を過剰に恐れていた、と著者は首を傾げています。このへん、天皇批判は禁忌として抑え込まれていた戦前と異なり、それをおおっぴらに主張することが可能になった戦後、自分をまったく支持しない、さらには打倒しようとまで考える勢力の存在が可視化され、それをいやでも認識せざる得なくなったことが、「君民一体」を理想とする昭和天皇には大きな衝撃だったからでしょうか。
昭和天皇は戦後になってもそうした「君民一体」といった儒教的君主像にとらわれていたようだと指摘しつつ、敗戦はアマテラスの神罰と考えたり、その由来は伝説であって史実ではないとしながらも宮中祭祀は続けるべきだとしたり、キリスト教に好意的で日本人の大多数がキリスト教徒になるのであれば「象徴としてもそれでいゝかも知れぬ」と語ったりして、宗教・思想の面ではかなり揺れがあることも同時に指摘しています。ここはこちらとしても、昭和天皇自身の心の中でどのように整合性をとっていたのか、理解に苦しむところです。その一方で、このあいまいさは日本人全般にも通じる点のようにも感じられるところでもあります。
総じて著者の昭和天皇に向ける眼差しは厳しめです。
興味深い本でした。著者が「あとがき」で述べているように、「史料というのは読む側の関心や研究領域によって読みどころが変わってくるもの」でしょうから、別の研究者ならまた別の視点があるでしょう。良いものがあればまた読みたいです。