
『母という呪縛 娘という牢獄』(齊藤彩:著 講談社)、読了。
信じがたい生育環境で育った加害者が母を殺害し、逮捕され、当初殺人を否認しながら控訴審で一転して認めるまで。
まるでホラー小説のような、しかしノンフィクションです。小説であればよかったのに。
実話であることが伝わる部分を削除して、黙って読ませれば小説だと思いこむ人が少なからず、いそうです。
わたしは・・・、怖ろしさも、もちろん感じましたが、それ以上に読んでいて、息苦しく。
数ページ読んでは本を置き、しばらくたってからまた数ページ。水の中に顔を押しつけられながら読んでいるようでした。
加害者と被害者の、メールやLINEでのやりとりから浮かぶイメージは、暴風吹き荒れる不毛の荒野か、出口なしのじっとり冷たい地下室。
誰が何をどうすればよかったのか。こうなる前にどうにかするべきだったのは当然ですが、でも、どうすれば。それを考えると、読み終わった後も重苦しい閉塞感が残ります。
書名の「牢獄」、加害者の生育環境はこの本によって幼時から犯行時までをたどることができるのですが、一方でごく短い記述だけの被害者のそれはどうだったのか、気になっています。なぜこのような親子関係に陥ってしまったのか。本書を読む限り、それを主導したのは被害者のように感じられるのですが、被害者もまた苦悩していたのは間接的ながら伝わってきます。被害者の「呪縛」はどこからきたのでしょうか。
著者は元共同通信社の記者で、この事件当時は在職しており、裁判担当として公判の傍聴もしていたとあります。本書は著者が送った質問に加害者が返信することで作業が進められたとのことで、著者曰く「二人の合作」だそう。