メニュー 蕭寥亭 検索

開店休業の記

今日の本

中国農村の現在

 『中国農村の現在』(田原史起:著 中央公論新社)、読了。

 14億といわれる現在の中国の人口。そのうち、農村と何らかの関係をもっている広義の「農村関連人口」は、本書によれば総人口の7割、10億ほどと推定されるとのこと。中国については、ここ数十年で飛躍的に増大した経済力、国際政治における影響力ばかりが注目されますが、その背後には外部から知られるところが少ない、巨大な(日本とアメリカとEUの人口を合わせたより多い!)サイレントマジョリティーとしての彼らが存在しているわけです。

 著者は社会学者で、中国の農村に実際に足を運んで調査を続けてきた研究者ですが、本書は新書ということもあり、客観性・データ重視の研究書的な内容ではなく、著者が直接会った中国農村の人々・出来事の印象を通して、いくつかの疑問への答えを探りながら、彼らの在り方・生き方の素描を試みる、というものになっています。

 なにせ10億ですから、著者が長年かけて知り得た範囲も全体から見ればおそらくごくわずか、本書1冊読んで、「中国の農村を理解できた!」などとはゆめゆめ思ってはならないのでしょうが、とはいえ、著者が提示してくれなければ気がつくことがなかったようなことがたくさんありまして、読みがいのある本でした。

 例えば、旧時代・伝統的な農村における日本と中国の「家」・「家族」の違い。こういったことを知らず、どちらも似たようなものと思ってかかると、誤った理解をしてしまいかねないのでしょうね。

 衝撃的でさえあったのは、農村で導入されている選挙との関連で紹介されていた清末期〜民国初期の思想家・章炳麟の代議制についての指摘でした。彼は、代議制というのは封建制の延長線上にあって身分制と相性のよいものであり、封建制の時代から日の浅い日本や西洋とは異なり、封建制から遠い中国には向かない、と主張しました。個人的にはまったく見落としていたことです。でも、言われてみれば、歴史の長さを誇るイギリス議会には未だに「貴族」院があるのですし、戦前までは日本にも貴族院がありました。地域から代表を出す、ということは地域を「代表」できる特別な立場の存在が必要ということともいえ、一君万民的な思考の中国にはなじまない一方で、特定の「家」による議員の「封建的世襲」が未だに散見される日本・・・、う〜ん、いろいろ考えてしまいそうです。