『藤原頼長・師長』(樋口健太郎:著 ミネルヴァ書房)、読了。
平安末期の宮廷政治家・藤原頼長とその子・師長の評伝です。
藤原頼長といえば、悪左府。本書にも引用がありますが、以前読んだ『愚管抄』に「日本一の大学者で和漢の才に富み、怒りっぽく万事につけて極端な人」と評価されていました。
十代の頃に読んだ吉川英治の『新・平家物語』でも、「とびきり優秀なんだけど嫌な奴」という風に描かれていたかと思います。保元の乱の首謀者の一人とされ、結局敗死(『愚管抄』にはその時の状況も記述があります)したということもあって、悪役イメージの強い人でもあります。
一方で、『台記』という彼の日記が現在まで伝わっており、この時代の重要史料となっています。本書もこの『台記』に沿って、彼の人物像に迫っています。
読んでみて、これまでの印象とはだいぶ違うな、というのが感想です。保元の乱に至る過程も、従前の印象から権力欲の強い彼の独善的な姿勢に対する反発が一因じゃないのかな、というのが少し頭にあったのですが、本書を読む限り、父・忠実と兄・忠通の関係悪化にまきこまれ、いつのまにか、失脚、挙句にどういうわけか合戦にまで至ってしまった、という流れに見えます。
前記の評価をした『愚管抄』の著者・慈円は、最終的に頼長を死へ追いやった忠通の子。やはり史料というのは注意しながら、読まなきゃいけないものなんだな、と実感。
書名は二人並記になっていますが、記述の分量は本書10章中、8章頼長、2章師長、というところで、バランスはちょっととれていない感じ。もっとも著者はもともと師長研究をしていたとのことで、そこから発展させて親子二代の評伝となったそう。
頼長と比較すると、師長は一般には無名に近いのではないでしょうか。保元の乱後、連座して流刑となったが許されて朝廷に復帰した頼長の子息がいた、というのはどこかで聞いたことがありましたが、復帰後、忠通流に対抗し、摂関を望む意欲を見せ、それはならなかったものの最終的には太政大臣にまで進んだとは知りませんでした。このあたりの政治状況も近年見直しがされつつあるようで(本書は今年出たばかり)、油断は禁物ですね。
また、この時代、摂関の子弟がどのように朝廷で昇進していったのか、頼長・師長という具体例でもって解説があり、そのあたりもおもしろかったです。