『歴史修正主義』(武井彩佳:著 中央公論新社)、読了。
歴史修正主義という言葉には前から違和感がありまして、研究の積み重ねにより従来の定説が修正されていくというのは歴史学においてむしろ当然のことではないか、と思うのですが。著者も本書の「はじめに」で、早速その点に言及しています。気になっている人が多いのでしょうね。もともと、歴史修正主義というのは英語の "revisionism" からきているのだそうで、直訳すると「修正主義」ですから、まあ、そうなるのでしょうが、「根拠薄弱説強弁主義」とでも言った方が実態に即している気がします。長すぎるけど。
著者はドイツ現代史の研究者。ということで、もっぱらナチス、ホローコーストをめぐる歴史修正主義と司法の場に現れた歴史修正主義者たち、法規制による対応などについて述べていきます。
いや〜、ゲンナリです。本書に対してではなく、歴史修正主義者たちに対してです。著者も疲労感をにじませつつ、「彼らは合理性のルールの枠外にある」、彼らの主張の不当性を明らかにするには「膨大な時間、労力、資金が必要」、法規制も「注目を浴びることを一種の戦略としている確信犯に対しては、抑止とならない」と指摘しています。
法規制については、ドイツなどで実施されているという話は本書を読む以前からうっすら聞いておりまして、「言論の自由との兼ね合いはどうなっているんだろう?」と疑問に思っていたところではありました。本書によりますと、憎悪を煽る言説を規制の対象とすることで社会の平穏を守ることを優先している、また、ホローコースト否定の主張は「虚言」であり、言論の自由の保障対象外であるという考えのもとに成立しているとしています。
その一方で、法規制という形で、国が「正しい歴史」を決めるというのはどうなのか? 国にとって都合のよい主張が「正しい歴史」であるとして強制されるのではないか? 言論統制の道具となってしまうのではないか? そういった懸念も著者は指摘します。歴史を法で管理するという方向は、研究者として著者は反対だそう。
労作だと思います。