
『古代中国の24時間』(柿沼陽平:著 中央公論新社)、読了。
古代中国、紀元でいえば前200〜後200年あたりの人々が、日々どのように暮らしていたか、朝から晩までその行動を再現してみよう、という本です。
着眼点がおもしろいし、内容もそれに劣らずおもしろいです。
実はこうした研究は難しいと思います。現代はともかく、古代では字が書けて記録を残せる人というのがまず限られていたわけでありまして。なので、記録として残っているものがまず少ない。さらにその少ない記録に書かれているものは、大概、エラい人のかかわった特別な出来事ばかり。庶民の日常行動なんて、なかなか書き残してくれたりはしないのです。朝起きたらまず何をするのか、買い物はどこでして店では何を売っているのか、とか、当時の人たちにとっては当たり前のことなんか、わざわざ貴重な筆記用具を使ってまで記録を残す必要は感じなかったでしょうしね。
もうずいぶん前の話になりますが、平安時代、お米をどうやって調理していたのか、実はよくわかっていない、現代と同じように炊いていたのか、違うのか、わからない、という話を聞きました(ずいぶん前なので、今は解明されているかもしれませんが)。やっぱり、こういうことって記録がないんですね。
現代と案外似通っていたり、全然違ったりするので、読む方は「わぁ、昔の中国の人はこんな風に暮らしてたのね」と楽しいのですが、書く方は先行研究が乏しい上に数少ない記録を求めておびただしい史料文献にあたらなければならず、大変だっただろうというのは理解できます。巻末に並んだ大量の注記でも明らか。お疲れ様です。
文字史料以外にも、壁画や明器なども重要な史料として使ったとのこと。明器とは、死後の世界を信じていた古代中国人が、死者が死後の世界で使えるようにと作られた日用品などの模型のことで、副葬品の一種です。10年以上前に博物館で実物を観る機会があったのですが、ああ、確かにいろんなものがミニチュア化されてて驚いたっけ。死者だけでなく、後生の役にも立つのね(笑)。