
『フェイクとの闘い』(辻井重男:著 コトニ社)、読了。
著者は暗号・サイバーセキュリティの研究者であり、一般向けの暗号の本も出しています。わたしも1冊読んだことがあります。
これは縁あって、いただいたものです。
内容は・・・、なかなかわかりにくい。著者本人の自叙伝、著者の恩師(故人)との架空の対話、過去の知識人批判、サイバーセキュリティ関連の活動、情報社会の未来と課題などが混在し交錯しています。さらに300ページ少々の本のうち、資料篇が100ページ超という構成で、正直まとまりはあまりなく、ともすれば脱線の連続という流れになってしまっていて、読みにくいといえば読みにくいです。サイバーセキュリティの技術的な話かと思って手に取った若い読者は、戦前・戦中の日本の様子や京都学派・小林秀雄らに対する批判を読むことになって困惑するかも。
ただ、わたしは著者の語るサイバーセキュリティに関することもそうでないことも関心があったので、おもしろかったです。
なかなか焦点の見出しにくい本ですが、著者が腐心し本書で繰り返し語っていることを一つ挙げると、互いに相克しがちな、自由の拡大・公共性と安全性の確保、個人の権利とプライバシーの保護、それらの三止揚(各理念の高度な同時均衡)ということになろうかと思います。
著者がそれを重視するのは自身の過去の経験と過去の日本のたどった道から来ており、それゆえサイバーセキュリティとは直接関係がなさそうに思われる記述に紙幅を割いたようです。
著者は司馬遼太郎が好きとのことで、彼の著作につながる話が時折顔を出すのは微笑ましいのですが、その司馬遼太郎が「第2次世界大戦によって最も深く精神的被害をこうむったのは、戦時教育を受けた当時学齢期だった世代ではないか」というようなことをエッセイに書いていたのを思い出しました。著者はまさにその世代です。それを考えると、平和な時代に生まれた苦労知らずの者としては僭越ながら、何か痛ましい気もします。