『氏名の誕生』(尾脇秀和:著 筑摩書房)、読了。
ここでいう「氏名」とは、家の名である氏と個人名である名の二つの要素からなり、戸籍に登録されていて現在の日本国民が必ず持つことになっている名称です。
わたしたちは、自分たちの名が今のようなものであることを当たり前と考えがちですが、そうではなく、今の「氏名」は日本の歴史全体から見れば比較的最近の明治初期に成立したもので、江戸時代の人の「名前」は今と大きく異なるものだった、ということを論じた本です。
広範囲で地道な調査が必要な研究ではないかと思われます。労作でしょう。
二要素の簡潔な形式で、氏はともかく名は基本的に変更なく生涯使われ続ける現代の目からすると、まあ、江戸時代の人名の煩わしいこと、わかりにくいこと。でも、その時代にあっては、その社会の実情が反映されたもので、一概に不合理とも言えないのがわかります。
○左衛門に×兵衛、右近だとか刑部とか、古の朝廷の官職由来(ただし、本来の意味はほとんど顧みられることなく)の名が、武士から庶民まで広がったのは、もとは戦国時代、その立場にない者による官職の僭称が蔓延したことが原因だそう。そうした勝手な行為を禁ずべき朝廷が零落していたので、やりたい放題だったわけです。カッコよさそうだからって、意味もわからないまま、適当な官職名を名乗ってしまうというミーハーさ加減は、なるほど、やはり我らのご先祖様だわ。
この乱脈さを苦々しく思っていた方々も少数いらっしゃいました。で、日陰にいたそうした方々が明治維新によって一躍、政権に参加することになりますと、正しき「姓名」を使うべきだとして、それを制度として強制することになったわけです。しかし、実情に合ってない「正しさ」は実に迷惑でありまして、大混乱が発生して立ち消えになってしまったそう。
結局、現代につながる戸籍制度の「氏名」とは、日本の文化とか伝統を考慮したものでもなく、単に国が管理しやすい形式を国民に一方的に押し付けただけのもの、というのがオチでございました。
ううむ、勉強になりました。
ただ、一点、疑問があります。
著者は「名乗」(実名、諱とも)について、江戸時代においては儀礼専用で日常では使わないというのが常識であったと強調しています。ですが、わたしは儀礼とは異なる場面で使われた例を見たような気がします。
以前、読んだ『夢酔独言』、これは幕末期に勝海舟の父である勝小吉が子孫への訓戒の書として、自分の半生を綴ったものです。この中で勝小吉は海舟のことを当時の彼の「名乗」で「義邦」と書いていたと記憶しています。これはどういう意味合いでそうしたのでしょう? 『夢酔独言』は書いた目的も書きっぷりも儀礼とは程遠いものに思われるのですが、江戸期においても歴史的な人物については叙述の都合上「名乗」が使用されたのと同様、子孫が名前の変遷に混乱しないようにとの配慮とだったのでしょうか。単に勝小吉があんまり常識的な人ではなかったから、というのもありそうですが。