「スポーツ根性論の誕生と変容」(岡部祐介:著 旬報社)、読了。
スポーツにおける根性というものを学問的に考える、という本。「根性」という言葉が発せられるのは情緒的な文脈であることが多いですし、と同時に学問などとは相性が悪そうな印象を帯びた言葉でもあり、まじめな研究の対象とは縁遠いもののように感じられますが、そこへ踏み込みましたか。それだけでも座布団一枚。
著者はスポーツ哲学・スポーツ文化論の研究者。中学から大学まで陸上競技を続け、箱根駅伝出場経験もあるそうです。なるほど。
まず前提として、日本のスポーツにおける「根性」とはどのようなものであるかを概観した上で、根性論と深く関わる人物として1964年の東京オリンピックで大きな成果を上げた二人、指導者から大松博文(女子バレーボール代表監督)、競技者として円谷幸吉(マラソン代表)を取り上げて論じていきます。
論考としては比較的短いもので、内容もまだまだ緒についたばかり、というところだと思いますが、このテーマと正面から取り組んだという点だけでも貴重で、ぜひ研究を深めていってほしいもの。
驚いたのは「根性」という言葉の使われ方が、過去は今と違っていたということ。「根性」には「人間性や人間の本質、先天的に備わった性質」という意味と「困難に耐え、目的を達成しようという強い精神」という意味の二通りで使われるとのことですが、1960年代以前ではもっぱら前者、しかも否定的な文脈で使われることが多かったそうです。後者の意味で使われることが一般化したのはオリンピック開催後の1970年代前後らしいです。わたしも1964年の東京オリンピックを知らない世代ですので、ほとんど後者の意味で使っており、これには気がついていませんでした。ううむ、勉強になりました。