
「不死身の特攻兵」(鴻上尚史:著 講談社)、読了。
わたしがこの前読んだ「特攻隊振武寮」に「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきたパイロットがいた」という記述がありました。これを読んだ著者がそのパイロット・佐々木氏が存命であることを知り、ご本人へのインタビューと調査により、まとめたのがこの本です。
この本を読んでいて、わたしは大昔に読んだ「フォッケウルフ戦闘機」(鈴木五郎:著 サンケイ出版)の一節を思い出しました。
この「突撃飛行隊」を編成するにあたって、「シュツルム・グルッペ」のパイロットは全員、「敵戦略爆撃機の無差別爆撃から市民を守るため、戦闘機で肉薄攻撃を実施、場合により体当たり攻撃も辞しません」という誓約書を入れていた。
ところがこれを知った戦闘隊総監アドルフ・ガーラント中将は、
「肉薄攻撃はいいが、わざわざ休当たりする必要はない。体当たりまでしなけれぱならないのは、技術が不足しているときと相討ちだけだ。パイロットは一朝一タに養成できないから、それは避けてほしい。いや、してはならない」
と、体当たりの禁止を命令した。
(同書167〜168ページから引用)
これは佐々木氏が出撃することになったのとほぼ同時期の1944年、やはり敗色濃厚だったドイツでのエピソードだそうです。
これが航空部隊の上級指揮官としてあるべき姿だと思うのですが、しかるに当時の日本は・・・。
いつの間にか「戦局を好転させる」とか「最大限の戦果を目指す」という次元の話ですらなくなり、パイロットを帰ることのできない出撃に追い立てることが目的化してしまったのではないか、それが何かの申し訳になると思っていたんではないか、そんな気さえしてきます。
他に書く機会もないと思いますので、わたしが親から聞いた特攻隊にかかわる話を書いておきます。
かつて、わたしの祖父は熊本市の繁華街で店を営んでいました。
近くに旅館があり、特攻隊のパイロットが宿泊していたそうです。
当時、熊本の健軍に陸軍の飛行場があり、わたしの父はそこで陸軍の三式戦闘機飛燕を見たことがあったそうです。「特攻隊振武寮」にはここも特攻隊の出撃拠点となっていたとありました。
ある日、パイロットが店に訪れ、応対に出た祖母に「出撃するときは身支度を整えたい。香水はないだろうか?」と尋ねたそうです。
戦争中、物資が乏しくなっていたころのこととて、香水などはとっくに売り切れ。祖母は自分用にとっておいた香水を代わりに渡したそうです。
今日の本 ー 「特攻隊振武寮」