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開店休業の記

今日の本

コーランには本当は何が書かれていたか?

 「コーランには本当は何が書かれていたか?」(カーラ・パワー:著 秋山淑子:訳 文藝春秋)、読了。

 タイトルはこんなんですが、内容はコーランの逐条解説とかそういうものではありません。アメリカ人女性ジャーナリストが約10ヶ月にわたってインド出身のイスラム学者からコーランについての講義を受け、対話する中で知ったこと、感じたことが綴られています。

 イスラム教に疎い日本人の一人であるわたしにとっても初めて知ることが多く、おもしろかったです。

 意外なことがいくつもあるのですが、イスラム教徒といえどもその多くはコーランを読んだことがなく、読んでいたとしても内容を理解している人はわずかしかいないというのは驚きです。でも、考えてみれば世界に16億ものイスラム教徒がいるといっても、コーランの言葉であるアラビア語を解さない人がかなりを占めるわけで、さらにアラビア語を母語とする人であってもコーランがまとめられた7世紀の古典アラビア語を理解できるかというと、現代日本人で古事記を原文で読んで理解できる人がめったにいないのと同じで、そうそういるもんではないのは当然なのかも。

 作者が学んだイスラム学者が嘆くには、イスラム過激派にしてもイスラム批判派にしてもコーランをきちんと学んでおらず、文脈を無視して自説に都合がいい片言隻句をコーランから抜き出して勝手な解釈をしているとのこと。彼がイスラム教徒として一番大事だと考えていることは、根拠のあいまいな規定を厳密に守ることではなく、まず神に対して敬虔であること。そのためには慣習にただ従うのではなく、自分ですべきことを自分で考えることが必要だと説いています。どの宗教にも通じるような、当然といえば当然の考え方なんですが、なのにハッとするような新鮮さを感じたのは、実体としてはそうでない方がずっと多いからでしょうか。